2015年3月29日日曜日

競技会見学とお買いもの

競技会にいつか出るときのための「会場下見」を兼ね、「場馴れ」と「応援」のため出かけました。
土曜日の競技会はJr.の引っ越しがあるつもりで申込みしてませんでした。
その競技会を見学したかったのだけど、諸般の事情で行けず、1度からしかない本日見学。
まぁ・・・いつか出れるかもしれない1度もお勉強するということで・・。
新しいICのおかげで、1時間半ほどで到着。
会場につくと、屋内なので、犬の声や、ハンドラーの声がわ~~んと響いている。
リンクの間は狭いうえ、4リンク同時進行なので、準備中のわんこはいっぱい。

先週のレッスンで、聞きなれたハズのはためくテントにおののいてしまったイオス。
もう母には「この音なら大丈夫」という絶対の自信はないくなった。
万が一にも見学犬がリンクに乱入するなんでとんでもない事件は起こしたくない。
会場に連れてくるのはあきらめる。

「イオスにはハードルが高すぎる会場だわ。でなくてよかったかも」つぶやく母に
「完ぺきにアジに集中できるようになってからの方がいい会場だよ」

結局イオスは雨が降ってきたため、会場の外の散歩もできず、トイレ休憩しただけだった。
第二の目的、お買い物はせねば。
オヤツとなくしたボールの2代目を購入。

イオスお気に入りのクッキーと馬の背の背のスジと鮭皮購入

女帝の発注分
鮭の皮と神戸牛のホネ(髄つき)
(9連休でヒマを持て余した)旦那がついて来、車で寝ているので午前中で撤収。
マイアミビーチ(琵琶湖のね)にあるドックカフェに寄る。
ランチは1種類のみだったけど、
薄焼き卵包みハンバーグ、エビフライ、ヒレカツ、サラダのプレートはボリュームたっぷり。
わんこはフリーでOKなお店で、先客の方も大型犬も平気ですと言ってくださったけど
超小型犬がいたので、万が一にもイオスがぶつかったりすると危険なので、
別のスペースにてお食事。
先客わんこたちや飼い主の方たちに上手に挨拶できたし、
いっぱい可愛がってもらえてよかったね。

マイアミビーチはわんこフリーで水泳可だそうです。

ミルクファーム伊吹に寄って、アイスを食べ(イオスはコーンのしっぽだけね)
お気に入りのコーヒー牛乳とプリンとヨーグルトを購入して帰宅。

夕方散歩して、シャンプーされて、疲れ切って寝るイオス。


2015年3月28日土曜日

そば・蕎麦・ソバ

年1回の有給休暇取得、強制取得制度により9連休のだんな。
息子の合格発表だろうがなんだろうが、スキーに捧げる。
4日連続のスキー三昧。
20日21日は戸狩へ一人旅 夜も8時過ぎに帰宅。
22日23日はご近所さんと戸隠へ。

で・・流石に悪いと思ったのかお土産は買ってきた。

戸狩の土産
このセットが2つ

戸隠の土産










念のために言っておくが、母もJr.も、3食とも蕎麦でいいほど蕎麦好きではない。


2015年3月26日木曜日

レッスン52



レッスンできずでした。

ビギナー2に申し込んだので、15に増やしたコースで、とてもお勉強になりそうなコースだったのに。

リンクに入る前は別に普通だったし、最初はボールに喰いつてたのに、落ち着きがなくなってきて
とうとう、母の隙をついて逃走。
だけど・・テンションが上がって「ひゃほ~~」って感じでもない。
座れ、待てもお尻が浮いてしまってるし。
その後も何度も母を引きずるようにリンクの奥へ行こうとする。

風で先生の声が聞こえなかったが何か言われてる。
「連れてきて!!!!」
「イオス~~っ♡おいで~」他の生徒さんもイオスを甘い声で呼んでくれてる。
なんで???
テントに向う母を振り切ろうとするイオス。
なんなん???

とうとう先生が「リード貸して・・・」

テントのパタパタはためく音がコワイんじゃないかな。
しっぽなくなってるよ。

イオスの最大の長所は「こわがりじゃないこと。ものおじしないこと」

第一、テントのパタパタする音なんか、この3年半、何度も聞いてるじゃない。。。

でもイオスは先生の足元でしっぽをぴったりお尻に曳いて伏せている。
それでも、母のコマンドには従って「伏せ」「座れ」をしようとしてる。
とにかく座ったらオヤツ。
母に集中するように、持ってる限りのおやつを「いい子だね」と言いながら、与え続ける。

「今日はレッスンやめましょう」

母を振り切ろうとしなくなったところで、フリーに。
「イオス~」と呼びつけようとしたら、先生から「呼ばなくていいから。イオスの好きにさせて」
最初は出口にむかったけど、イオスにかまわず先生はコースを組み直したり、
生徒さんはそのお手伝いしたりしてるとイオスが寄ってきたので、ボールを投げてみた。
ボールに反応して走り出し、トンネルに入って、得意そうにでてきたので
一緒にその辺を走って、隅っこのトンネルやらハードルを跳ばせて
ついでに教えてもいないAフレームを何度も上がったり下りたり・・・
笑顔になって、しっぽが生えたので・・おわり。

競技会まで4回しかない練習のうちの貴重な1回。
1回でも多く走りたいのが本音だけど、焦りは禁物。
コワイとアジを結びつけないようにするには仕方ないね。
「ムリせんほうがいい」生徒さん達も言ってたしね。

先生が言うには
「留守番中になにかコワイと思う音があったかも。
 火曜日は竜巻が起きてたぐらい風がすごかったから」

昨日はお留守番だったから、わからないけど・・
火曜日はJr.がいたので、帰ってから、Jr.に聞いたが心当たりがないという。

最後はリンクで楽しそうにしていたので、引きずらないと思いたい。。。

まさか、音でつまずくとは・・・


本文とは関係ありません
イオスには今も昔も厳しいJr.
「わかってるよな」
「なにがでしゅか?」
2012年8月 イオス1歳10ヶ月
今よりやっぱり小柄だね。

さぁ、しまっていこ~

ながながと続いた受験つれづれシリーズ。
1ROUND終了です。


もともと・・ボクのためのブログだったはずなのに・・・

母の愚痴に暖かい応援を頂いて、とてもありがたかったです。

ありがとうございます。




そうそう・・・

学校では、センターの前に応援団が健闘を祈って水をかぶるんですよ~


写真:先輩に熱いエール きょうからセンター試験


おもろい学校でした。

2015年3月24日火曜日

受験つれづれ5 えいっ!

さて・・思いかけずあたった宝くじ、後期合格

もともと受ける予定の大学の後期が足切りされる点数しかとれず、
担任の先生に勧められるまま「どうせいかないからどこでもいい」「まぁここでもいいか」と、
とにかく深く考えず受けた大学。



激戦の後期、定員5人に入ったとなると、とたんに惜しくなるのが人情。

親なんて、(もうそこにしときぃ)と思う。

しかし・・・

「もう1度挑戦する」という線は譲れない。らしい。

そこを守りつつ、この幸運も離さない方法があるにはある。
入学してすぐに「休学」する。

懇談でも、後期の学校を休学する方法は担任も「どう?こういう考え方もあるよ」と話していた。
その時は「そんなん、ありえん」と言っていたが
後期を終わったあと、「もっと真剣に勉強してたら、休学っていう手もあったのにな」と話したら
「そういう話はなんで受ける前にしてくれないのか」と怒っていた。
「話したじゃない」という母にむかって
「話してないことを話したと思い込むのは年ってことにしとたる」と悪態をついたこともすっかり忘れ
「すっぱり辞退して、背水の陣をひく」根性はないJr.は
「休学」カードを切ると即断。

一度は即断したものの・・「辞退する子もいる」そんな話を聞くと迷いだす。

よく考えてみよう。

メリット
①滑り止めの大学を受けなくていい=私立の受験校を挑戦校だけ絞り込める
  =日程に余裕がでる
②足切りにさえ合わなければ、前後期第一志望というやけっぱちなことができる
③センターで「失敗できない」というプレッシャーが軽くなる。

デメリット
①行くとこがある=必死になって勉強する気持ちがなくなる。
②後期の大学に来年行くことになった場合、学年だけはあがるシステムだと、
 クラスごとの行事があった場合、ある程度仲よくなってる中に入れるか?

金銭問題
来年、最低でも私立1校に滑り止めとして入学金を払うことになるので、今年後期大学に払っても同じ
授業料をどれだけ払うのかわからないが1か月分でいいなら私立の受験料*2校分より少ない。
となると・・・来年の滑り止め私立を受けない分でカバーできる。

会社の仕事で飛行機のチケットを調べていても、
(JFK空港が夜中の乗継かどうかなんてどうでもええ~)と
頭のなかは「後期の学校をキープすべきか」でいっぱいで、お昼ご飯も食べた気がしない。

Jr.も流石に「学校の先生に相談する」

学校の先生(受ける前にJr.はこの学校なら鉄板みたいなことを言われたらしいが)
「よく受かったね~~。キープしとき」

メリットは物理的な理由が大きいがデメリットはJr.次第のもの。
「デメリットを抑えれるかどうかは自分だけができることだし、自分の気持ち次第のこと。
 だから、最終決定は自分でしなさい。どちらに決めてもなにも言わない」

Jr.、もっと詳しい「休学」についての情報を得るために自分で大学へ電話する。
「来年、違う学校受験したいんですね」と、とても親切・丁寧に教えて頂けたようだ。

気にしていた授業料は1か月分だけ。
「休学届」は持参すること・・・etcetc

Jr.「入学金払ってください」



本当にこれでいいのか?迷いはまだ残っていた母ですが
今朝、「えいっ」と入学金をお支払しました。

不思議に払っちゃったら、気持ちがすっきりした。
この大学に来年、通うことになったら、
リラままさんが教えてくれた「最高の必然」であって欲しいと切に願う。


でも・・・母、すごい残念なことに気がついた。
今年の入学式にJr.は当然「行かない」
つまり・・来年、もしこの学校に行くことになったら・・・・
母は最初で最後の子供の大学の入学式がないということになるんです。

あ~~やっぱり、第一志望か第二志望にしてる私立に受かって!

2015年3月22日日曜日

受験つれづれ4 さあどうする。

高校ごとに開いてくれる予備校の説明会に、神妙に行きました。
今年こそはじっくりじっくり自分の人生と向き合え!

と思っていたら「滑り止めはどこでもいいや」
第一志望以外行かないと決めていた今年でも、ひっかっかていたその言葉。
「そのどこでもいいってことないでしょう」の母の一言からバトルへ。

「そんなん、一部の大学以外、あとはどこでもいっしょ!就職だって一部の大学以外はいっしょ!」
んなわけあるか~~

就職は現実的には大学名で選別されることもあるかもしれない。
それでも、大学ごとに得意な業界ってあるから、ちゃんと調べてみれば自分の進みたい方向に
多少でも、有利な進学先ってあるはず。

母はなにより大学時代を笑顔で過ごして欲しいんだよ。
「どこでもいっしょ、なんて思って行った大学で過ごす4年間でいいのか?
そこで楽しくもない4年間過ごしたいのか」
笑顔で過ごせれば、いい友達やいい先生やいい経験ができるって思うんだよね。
偏差値は同じでも、大学って個性があるんだから。
「滑り止めに行くことになる可能性はゼロじゃない。自分のやりたいこともない。
雰囲気も合わない。そんな場所で4年間もすごして欲しくない」

「4年間過ごす」ということに、初めて思い至ったようだった。

母は第一志望から第三志望まですべり、自分でも唖然としたヒトなのだが
それなりに熟考し、大学案内もじっくり読んで、学校の雰囲気も考え選んだおかげで
第4志望=すべり止めの学校でも、楽しくすごした。

大学生活が「どこでもよかった」大学なんて絶対よくない。
もっと自分の性格やらなんやら、ちゃんと考えて、欲しい。
ムズカシイことが考えられないなら「この大学で楽しいか」でもいいさ。

今年は当面の学力アップにやっきになっている子供に
こんな「そもそも・・」という話をする余裕なんて母の側にも子供側にもなかった。
受験日記にあるように、かなり場当たり的な対応というか、応酬をしてきた。
もっと、フォローがきちんとできていれば、受験校も対策もきちんとできたのではないかと
親心は複雑である。

「きちんと自分がなにをしたいかかんがえれるなら
第1志望にすんなり受かるより、よかったのかもしれない」とちょっとおもった。

そんなこんなで「浪人」決定で予備校にも手続き済なのだが・・
思いがけず後期に合格した。
「行かない」決心が微妙にぐらつく。
行かないのは行かないのだが、入学手続きをして、「休学」。
親としては安心なんだけど、
センターでのプレッシャーは軽くなるけど
「なにがなんでも」のモチベーションが保てなくならないか?
中途半端な心がけでは「絶対に受からない」浪人生活にはマイナスなんじゃないのか?
Jr.の性格では絶対マイナスだと思う。

合格は素直にうれしかったけど・・・

後期もアウトよりずっと気持ちは軽いのだけど・・・

う~~~ん、親子で悩む。

2015年3月19日木曜日

くらべてみました。

親戚犬のパピー写真を見て、イオスとぜんぜんちが~~う。
そこでお写真をお借りして並べてみました。

2011/1/3 イオス2か月
ころころのたぬき。



2011/2/4
イオス3か月と4日(女帝は11ヶ月)

 むつきちゃん3か月


ハヤテ おにぎり耳だから、たぶん3か月ぐらい?


むつきちゃんやハヤテにぃさんと足の長さが倍ぐらい違わないか?
にぃさん、ねぇさんはすっきりた体形だけど、イオスはずんぐりむっくりタヌキ体形。
イオスは座ってるからちょいと小さく写ってるけど・・たぶん頭一つちいさいね。
このころはイオスの胸の毛は白かったんだ~。
今はグレーだよん。

2011/4/2 
イオス6か月

むつきちゃん6か月


イオスの足はむつきちゃんと比べると、やっぱりみじかいなぁ。
むつきちゃんのほうがなんだかおとなっぽいし。
ヒトも女の子の方が早くオトナになるけど、わんこもかしらん。

遠目の上の写真ではわかりませんが、
イオスはこのころ、子犬体形なのに、顔だけおっさんでした。


母は「成長期のアンバランスだよね。」「そのうちイケ犬になるよね。」と
毎日祈るような気持ちでした。

レッスン51

朝からの雨がイオス駅に着いたら上がっていて晴れ間も。
競技会の申込みもあるし、どろどろでもお腹だけ洗えばいいか・・・

本日のコースの一部①

1回目、母が②ハードルの正面に立ってしまい、イオスとクラッシュ。
「犬が跳んでくる方向に立ってたらアブナイ!」
すみません。イオスを巻くように転ばなくてよかった。
②はフロントで正解なのだが、
③のトンネルの出口まで走るのには体はあらかじめトンネルに向け、
顔だけイオスに向けて、イオスが跳んで来たら走り、イオスがトンネルに入ると「信じて」
イオスが入口に入るのを確認しないで、出口まで一気に走る。
「イオスが入るか不安」というと、入るように教えてるんだし、そのための練習してるんでしょう?

③トンネルのあとは④ハードルは正面なので、跳ぶときに呼ばない。
呼ぶとイオスの体が母の方に向くので、ハードルに斜めに入り跳びそこなう。




⑦⇒⑧は⑦と⑧の間でイオスをぐるっとまわして、⑧を横に走りながら呼んで⑨を跳ばせた。
このやり方でもいいが、
⑦を先行で受けるやり方もできるということで、その方法を単独で練習をして終了。
⑧を跳ばせたあとに余裕ができるから⑨をしっかり呼びるような気がする。

4月の大会を申し込んでしまった~~~。
今回は3つか2つリンクが並ぶ会場。
隣のリンクに殴り込みを掛けさせない が 目標その1。

ところでこんな記事を見つけた。
もともと、才能もあったと思うし、ハンドラーもすごい方なんだと思うし
こんな高みを目指してはいないけど
イオスと自分もまだ頑張れるかなと希望の灯がともる記事。
https://www.facebook.com/animalrefugekansaiARK/posts/654906734643303

2015年3月16日月曜日

強運の持ち主?




咥えているのは、ガムテで補修した貧乏ったらしいディスクですが
イオスは実はかなり「くじ運」がいいんです。

今日のL1DAY、20回記念のプレゼント大会がありました。
名前を書いたカードを欲しい賞品のポケットに入れておきます。
2番の「穴が開いても鳴り続ける」ボールセットに賭けます。
前の番号のプレゼントにあったった保護者が次の賞品のカードをひきます。
ひゃほ~当たりました!


「ん?イオスって10回記念のときも当たったよね」
はい
ビスケット大袋当てました。

6か月のときには、愛知県のランであった夏祭りで障害物競争で3位にはいり
おやつをたんまりと射とめました
障害物競争なので、「ウン」次第みたいなもの=くじみたいなもんです。


宝くじ売り場に一緒に行ったら、もしかしたら、あたりくじを買えるんじゃないの?
そしたらさ、どっかの売り場の猫ちゃんみたいに有名になるかもよ~~

飼い主の妄想は広がる・・

ボールですが
「本当に鳴り続けるか、レポートする」とランのままさんに言ってたのですが
裏をみるとちょっと大きめの黄色い文字で「小さい穴なら大丈夫!」
はい?
でもって、すっごく小さい黒字で「スクィーカーの破損や噛み千切った穴の場合は鳴りません」

スクィーカーの部分が丈夫なのが欲しいの。

2015年3月15日日曜日

受験つれづれ3 後期

さて・・不合格発表から一夜あけ、吹雪のなか、「後期試験」にむかうJr.を駅に送る。
うつむいて、一列縦隊で歩くと、映画とかの落ち武者のシーンが思い浮かぶ・・・。

ご存じかもしれないが、いま国公立は前期・中期・後期と3回受験日がある。
大学によって、前期で定員の半分から9割をとり、残りを中期・後期でとる。
(薬学系はなぜか前期試験でなく、中期試験から開始したりする)

前期試験と同時に出願するのだが、前期試験で不合格だった子にしか権利がない。
同じ大学に再チャレンジも可能だが、
大抵の場合は、「もうあとがない」状態なので、第一志望よりランクを下げる。
つまり、上のランクの大学の受験生がまさに押し寄せるので、
「合格ライン」どころか「足切りライン」まで前期の点数から信じられないぐらい上がる。
Jr.もその上がったラインにより、後期は前期と同じ大学に出願できなかった。
10人に足切り通過枠が30人という狭き門だったから仕方ないな。

中堅校にとっては、優秀な?学生を取れるいいシステム。
上位校では、後期試験はしないところが多いかというとそうでもない。
高得点ラインで「足切り」をして、受験生をしぼり、じっくり面接したり、論文を書かかせる。
(たぶん、状況が許せばこういう試験がしたいという教授たちの理想追及?)


しかし、苦労のすえに受かったとしても、不本意な大学となることも多いため、
現役だと
「やっぱりいかない。浪人する」と言って親をぎぇ~とさせる子もいるし、
「後期?おれら、そんなみみっちいことはせえへん。
 (足切りにあって受験がなくなっても)出願するのは第一志望のみ」という強者も多い。

我が家も最後の最後まですったもんだした。
母はJr.の性格を考えたら、絶対受験させたかった。

「前期しかなかったら、4月からでいいかぁって遊ぶよね」
「そうそうそれそれ!高校受験が2月で終わったあと勉強する体質になるのに1年かかったもんな」
「でしょ。1年もかかってリハビリしたら、来年のセンター目前までかかるんだよ。マズイでしょ」
「そやな・・浪人するなら勉強しとかんと・・」
「勉強するなら、試験ある方がいいでしょ」
「まぁ・・・」


前期が終わったあと「たぶんムリ」と言いながらも、
後期が行きたい大学でないこともあり、だらだら・・「一応」勉強する程度。
それでも、「後期は来年のためにも受けた方がいい。」という先輩の声もあり
来年は首都圏・関東圏の大学にはついていかへんで~という母に不安になったか
「一人旅受験を経験しとく」と出発する。

母は「敵前逃亡しないか」心配で、前期より後期について行きたかったぐらいだ。

しかし、流石にちゃんと受験してきた。
「なんか、めちゃくちゃ難しかったんだけど。前期の大学の英語とかわらん」
5人の枠に受験番号は120番台、当日の受験者数は60人以上。
後期試験の厳しさを悟ったようだ。

「後期の合格はめちゃ難しいな。来年はちゃんと私立を受けななぁ」

あたりまえや!!

1年間、Jr.のこの受験に対するいい加減な考え方に何度イラついたことか。
だけど、彼の考えの甘さを具体的に指摘してやれなかったんだよね。

わが子ながら(落ちて当たり前だったな)と改めて思った。
第一志望だって、「就職で楽がしたい」っていうのが本音だった。
「就職で楽がしたい」なら他の学校だっていいじゃん。
来年はもっと受かりやすい(数ⅡBのない)ところに変えろよ!って思う。
が・・数ⅡBを頑張ればいいんだからとか言うし。
(今年頑張ればよかったじゃん)

その後、バトルへと発展する。

2015年3月13日金曜日

最新ファッション

イオスです。
今年は、おおぶりのアクセが人気ですよ。
こんなナチュラルテイストのものも斬新でいいと思いますです。



ターブ界のファッションリーダーって呼ばれる日も近いかもです。くくく・・


受験つれづれ2 2次終了

まだまだ続くよ~受験日記。
書いたのは終わった直後なんで、今の「くそぉ~もう1年めんどう見るのか~」という
母の気持ちとはかけ離れております。
今回は田舎の子と都会の交通事情。


第一志望の2次に無事に行きつくことができた。
ネットで確認しても、母はネットの掲示が間違ってるかもしれないと
受験票が送られてくるまで大学の事務能力を疑う母であった。

あ~これで「受験」ができる。。。ありがたい。

さて、田舎の子は移動は自転車もしくは親の自動車である。
電車なんて、バスなんてほとんど乗ったことない。
Jr.、高校受験の下見のときに、バスは停留所すべてにとまると思って、ずーっと乗っていた。。
警察に電話しようかと思うほど遅くなって帰ってきて
「降りるときにはピンポーンってしないと降りれないんだって」自慢げに教えてくれた息子。
え===っ。
バスの降り方しらないの?そういえば、路線バスなんて乗ったことないかも。
中学の修学旅行の自由行動は電車つかっただけだったらしい。
遠すぎると気が付いて、運転手さんに言ったら降ろしてくれて、
逆方向のバスに乗るように言われたのだが、
反対の車線に行かないと逆方向のバスに乗れないのがわからず、JRの駅まで歩いて戻った。

高校登校初日には、降りそこない「お母さん~~バスが橋渡ってる~」と電話してきた。
(同じ高校の子は女子は制服、男子は校章でわかるから一緒におりなさい。
バスは橋を渡る前におりるんだよと教えてあった)
初日から「バスを降りれず遅刻します」と高校へ電話したのもいい思い出である・・。

こんな田舎の高校生、都会の電車に慣れる為、昨年、友達と夜行バスで下見には行ったのだが、
結局、物見遊山になってしまった。(まぁありがちな展開ね)
「行き方?覚えてない。だってあいつらしっかりしてるからさ、ついってったら着いた。ついてきて」
はぁ?仕事3日も休めって?行けません!・・と
谷に突き落としてやろうかと思ったが
「オトコの子でしょ?親子旅なんて最初で最後だって。ついて来てって言ってるなら行っといで。」
「試験の朝ね、大学まで行ったとき、わたしすごっく清々しかった。行ってきたら」
と先輩母たち。
「受験に親?」って思ってたけど、行ってみるか。

Jr.が受けた大学の門は大きな鉄製の扉がついていて、通用門だけあけて、受験生を通していた。
そこを通っていく後ろ姿をみたら「あのどん底の成績からよくぞここまで頑張ったな」って
初めて「うちのこは頑張った」と思った。
当たり前だけど、振り返らずにすたすた歩いていくのを見て、「親業も卒業かなぁ」
見届けてよかった。


ところで

着いたのはとある関東の町(東京区内ではなく)なんだけど・・1日目の試験が終わったあと・・
「こんなに人がいっぱいなのヤダ。早くうちに帰りたい」
な・情けない・・。
これが、若者の発言か?
大志を抱いて羽ばたけんのか?
そもそも、名古屋の方がヒト多いでしょ!
この人数で多いとか言ってたら、アンタ、会社員になれへんで!
そもそも、ヒトが多いのは下見でわかってるでしょ!
そもそも、田舎にいたいなら、地元の大学うけりゃいいじゃん。
足切りでドキドキしなくて済んだのに!あほか~~
交通費にホテル代、出費しなくて済んだのに~
イオス、預けなくて済んだのに~
朝の感動も忘れ、「いつもの残念な会話」をくりひろげ、どっと疲れました。


ところでさ・・
「万が一にも、受かるかもしれないって思わない?」
「ぜんぜん。そんな気はまったくしない」
「同じとこうけた子は?」
「ぜんぜんってひらひらしとった~。でも、ぜんぜんの基準って個人差あるし」
「でもさ~、もっと頭よさそうな子ばっかりかと思ったけど、意外にフツーやったな」
「さいですか」
(母は全員、わが子より頭よさそうに見えた・・)
「今年はダメだと思うけど、来年は何とかなる気がしてきた」
はぁ~~今年なんとかしてほしかった。



2年の担任の先生は「お話になりません」っておっしゃりながらも
「頑張れる?受けたいなら、なるべく早い時期から2次対策しましょう」と言って頂いて
1年間ずっと担当教科の記述問題を添削して頂いていた。
ノートに小さい字でぎっちり書かれた添削や、調べる事項の指示が書いてあった。

国語担当の担任の先生も現代文の論述で「出題意図に悩む」問題に
一生懸命模範解答を検証して、研究して、アドバイスやら添削やらしてもらっていた。

志望大学はバラバラだし、2次は論述の大学がほとんどだから、かなり大変だったと思う。
若い先生だったから「プライベートはだいじょうぶか」といらん心配をしてしまった。

卒業式でお会いしたら心から「ありがとうございました」と挨拶したいと思う。




2015年3月12日木曜日

年よりの冷や水

昨日は朝になっても、小雪が降り、うちを出た8時すぎはなんと横殴りの風と雪。

そんななか「だせぇ~~~~~~。だせぇ~~~~~。」と夜明けから叫び続けたリリー様。



 水もフードもたっぷりなのになぜか、庭の雪が解けた水を飲む。


元気で長生きせんとな~




受験つれづれ1 センター終了時点にて

受験の節目ごとに母、愚痴を書いてました。
終わったので、順次アップ。(なんだかね~、その時々でアップする気にならなかったの)
来年は笑って読めますように。

受験料の振込を勤務先近くの指定銀行で振込んだら・・こんなものをくれた。




他大学の指定銀行は振込にかかる手数料216円が無料だった。
少額ではあるが、ありがたい。

このおまけ?の話を地元の受験生の母経験者にしたら・・
大学の振込先ってメガバンクといわれる銀行で、地方には支店がないから
地方銀行から振り込むことになって、一番高い振込料を払う。そのたびになんだかね~って。

大学が選び放題の首都圏ってお得だなぁって思う。
地方の高校生は下宿させてもらえるのかどうかで選択肢が狭くなるんだよね。
そのほか、遠距離の受験にかかる費用、大学受験の塾があるとかないとか、一貫校がないとか。
地方都市で川で魚追いかけた子供時代でよかったって思うのとは別で、
いろいろ、状況・選択肢の格差はあるよなぁ~って思った。

私立の一貫校は、カリキュラムに融通がきいて、高校の授業内容を高校1年か2年前半で終える。
その分早くに、受験に特化した授業ができる。
進学校といえども、公立は高3夏までかかるから、現役は圧倒的に不利と言われる。
Jr.の高校の先生「現時点では私立が上だが、今から伸びる余地がお前らにはたんまりある」
逆手な応援?してくれてるぐらいだから、現場の先生も感じてると思う。
Jr.の学校の先生はそれを補うべく、手厚くフォローしてくれ、頭が下がる思いだった。

さて、我が家の受験はまっくらである。
やっぱり、間に合わなかったなというところである。
カリキュラムの・・っていう部分じゃなくて、Jr.のやる気というか受験体勢に入る遅れってやつ。
5教科7科目はだてじゃないのだ。
センターは撃沈。
校内順位もこの1年見たことがない数字だった。
苦手科目が間に合わなかった。
そのうえ、やつは8月になって受験科目を日本史から倫理社会に変えたのだ。

で・・

国立は「足切り」というオソロシイものがある。

いかに2次勝負と言われる国立でも、2次に行きつくにはセンターで点数を取らねばならぬ。
センターで撃沈しては勝負もできないのである。



「2次にいけようがいけまいが、第一志望に出願する。」
「後期も第一志望の後期にだす」

そこに行こうと思ってから、勉強しだした大学だから、前期はそこでいいさ。
納得できるように、挑戦してみればいいさ。
後期は20点も足らないんだぞ。

私立は受験に行く時間が惜しいというJr.を
「どこか受けないと来年の目安にもならない」と説得して、
センター利用の私立を1校、消印有効日ギリギリに出願したのみなのだよ。
なので、国立の2次を前後期ともに受けれないとなると、1回も受験しないことになるのだ・・・

不戦敗はどうよ。

まったく点数の足らない後期はいうに及ばず、前期も心配なのは「自己採点」ってところ。
マークミスとかで思わぬ点数ってことがままあるらしいから、前期が受けられない可能性もある。
「足切り」がない学校を後期でだしたい。

と母は思う。

来年のためにもどこかで、試験を経験しておこうよ。
2月で受験終了したら、4月の予備校入学までのブランクで学力おちるよ。
先生が懇談で提案してくれた、第一志望以外の後期の候補校どっちかにして、受験しようよ。

「来年」「来年」と連呼するのも空しいのだが・・・
話し合いを試みる母。

が・・締切が迫るなか、のらりくらり時間切れ作戦か?いっこうに決めない。
切羽詰まった母、高校生にもなって親が出てくのもと思いながら、
「なんでも相談してくださいね」と言われたのをいいことに、高校の担任の先生に相談すると
「私も、向いているかなって思う大学をもう1度探して、提案してみます。
後期は(行かなくても)受けておいた方がいいです。」

Jr.が帰ってきて「先生がさ、ここ考えてみたらって。受かってもいかないけどさ、ちょっと要綱とって」
流石、プロ~。
なんだか微妙なやる気だけど、とりあえず受ける気になったようだ。

先生が提案して下さったのは、考えたこともなかった大学だった。
だけど、まさに、目からウロコ?
専攻したいことや、彼の得意科目や、のほほんとしたい性格など考えたら、いい選択だと思う。
先生、頼りになるよ~~。
ここなら、受かったら「行く」というかもしれない。

ということで・・今回も消印有効日に速達で出しにいきました。
そして、ふと見ると願書に空欄が!ぎぇ~~っ。
高校コード??そんなものわかるか!
たまたま、休日だった、旦那を遠隔操作して、なんとか、コードを調べ、出願。

夕方、同じ高校に娘さんが通ってる友達にメールで愚痴ったら、
「うちに電話すればよかったのに」
そうでした。

第一志望について
2年の懇談で「お話になりません。T大に行きたいっていうのとおなじぐらい不可能です」
3年の懇談「受かったら大金星です」

過去5年、その大学の全学部を合わせても、現役で受かったのは「2人」だそうです。
そりゃ、大金星どころか、歴史を塗り替えることになるわ~って
可能性がなさすぎて、もはや他人事の母。

「お母さん、体験記の執筆依頼、僕に回すように**ちゃん(担任)に言っとく」
現実が見えてない息子。

はぁ~~~。
 


2015年3月10日火曜日

すごいことに・・

会社をでたら、名古屋駅まえは雪がちらついていた。
JRに乗って名古屋市内をでたら・・吹雪?地面はすでにまっしろ~~
ありゃ~

当然、イオス市に着いたら、屋根はすでにまっしろ。
歩道橋の上は雪が積もってるし・・

23時30分現在
車の屋根のうえなんて15センチはあろうかと。


明日の朝まで降り続くらしい。

車はまだまだスキーに行く予定の旦那の都合でまだスタッドレス履いてるけど、
新幹線動くかしら~。


涙雨ならぬ、涙雪~~~~。

お受験 

本日は国立の前期合否発表。

「浪人」(ほぼ)決定。

「気分転換」の相手を務めるというイオスの勤務時間が超不規則なお仕事は
契約が1年延期されました。
よろしく・・・
いやです・・・


見事に落ちました。

「今年はお試し受験」
「どうやっても無理じゃなかろうか」

と思っていても、現実として「不合格」となると、母、かなり凹みました。

「勢いで今年、突破できるかも」と密かに思わなかったわけではなかったし、
受験に事故はあっても、「奇跡」はない。
とわかっていても「奇跡」だろうとなんだろうと「受かれ!」と思うもんだね~。

振り返るに
「受かったら大金星」と担任にも言われたのを筆頭に、
なんだか知らないけど、どこか「お笑い」の要素たっぷりの受験生活だった。
試験をうけるまで、どこか「ワクワク」する気持ちもあった。

2次試験の前も、「ボーダーまで5点は2次が720点センター圧縮180点なら逆転可能」と
「2次で戦える学力はない」とわかっていても
「逆転可能」にどうゆうわけか明るい希望がなかったわけではない。

今年、親子ともども「余裕」があったのは「浪人」の選択肢があったから。
浪人生にそんな「余裕」はない。
母もJr.も切羽詰まった状況、余裕のない生活は苦手なんです。

「来年、この学校に受かる気がまったくしない」母
「来年は大丈夫な気がする」Jr.

自分が第一志望おちたときより凹んでるかも。


2015年3月8日日曜日

過去の大作 1

イオスは小者と言った母ですが、思い出しました。
イオスは家そのものを題材にしていたころがあったのを。

「喉元すぎれば熱さ忘れる」
「ひとは忘れなければ生きていけない」


ブログにもあげたはずと思いましたが、記事がない。
あるのもあったけど写真がほぼない。

思えばあのころ、母には彼の作品を撮影する余裕なんてなかったのだ。
この頃は、まずは現場写真を撮影する余裕がある。
母も成長したもんです。

ということで家中にある作品を集めてみました。

玄関脇の和室への引き戸。

母の帰宅時には、後片付けがされてなく、玄関中に木屑が散らばってました。
巨匠いわく
「平凡な色目の柱に、前衛的な彫刻を施し、グレー一色ののっぺりした戸にはアクセントをつけてみました」



芸術のわからない母により、これ以上前衛的にならないように、ゴムガードがつきました。
そして、この作品以降はケージでのお留守場となったことを思うと、
犬生のターニングポイントとなった作品といえるでしょう。

トイレのブラシやら、ペーパーが大のお気に入りだったので、留守番中に夢中で遊んでいたら
ドアが閉まってしまい囚われの身になったのですが
不屈の精神で、トイレの柱とドアには玄関と対になるよう、彫刻を施しました。




ドアに穴をあけ、脱出しようとした痕跡もあります。

廊下側からは、ドアのバーを下げて押せばあくけど
ドアのバーを下に押せても、引かなきゃいけない内側からは開けられなかったもよう。



芸術を理解できない母により、つけられた鍵。
家人は、トイレに入っている時でなく、出た後鍵をかけてました。

作品を前にして思い出にふけるイオス



お留守番日記

お留守番で2泊3日の合宿だったイオス。
総括
「いい子だったよ~」
「すばらしい順応性」

後ろの運動スペースに出しても呼んだらすぐにきて横につき、
ごはんは最初だけ「?」な顔したから食べないかなって思ったら、ちょっとしたら食べてあったし
(たぶん「よし」って言われなかったから戸惑った)
1日目のお昼にちょっと鳴いただけで夜泣きなし
散歩に連れていっらら、ある程度散策すると、自分で犬舎へ戻る
排泄はスムーズ(犬舎から出されたらすぐに済ませて、自分で戻る)
フィールドでレッスンしていても、まったく鳴かず。
犬舎の他の犬にも反応せず。

環境が変わるのを心配して
ご飯にはビオ☆ルミンをいれ、万が一の下痢に備えて「いつもの整腸剤」も預けた。
「いまごろ、他の犬のレッスンに反応してギャン鳴きしてないか。」
「ヒンヒン、鼻慣らしてないか」
「ハンストしてないか」
Jr.の試験より心配したんだけど・・・

そういえば。。
我が家に来た1日目、いや、その瞬間から10年前からいるようなリラックスモードだった。


「今日からココが住まいですか?先生のとこの子ですか?おっけーっすよ。
 新入りっす。よろしく~~~」
とか言ってそう。
「おまえ、あずかりだって。たぶんすぐ帰るから」とか言われてそう~~。

お迎えのときも感動の再会シーンはなし。
ふつーにバリケンに乗り込んできた。

へっ

あ~でも、これから、なんの罪悪感もなく、預けれるよ。

2015年3月5日木曜日

レッスン50&セミナー見学

50回記念。
記念日だから・・今日はぐだぐだながらも1回でクリアできた。
イオスが自分で判断せずに、遅れがちな母の指示を待ってくれた感じ。
イオスのおかげです。

コースです。
⑧は左右どちらから入ってもOK。


③はリアでもいいけどトンネルに誘導しにくいから「先行」で。
  先行すると②と③の間で指示を出したあと横移動なのがイオスがハードルを越すか心配だが
  「きちんと呼びながら移動すれば問題ない」とのこと。
  やってみると、むしろ確実に自分の前に呼びこめてやりやすかった。
⑪からリアで⑫を指示すると⑬に行きそうでアブナイから⑪を先行するほうがいいのか
聞いてみた。
「これ以上は(ハンドラーが)走れないから、リアでいい」
⑧のトンネルは⑦を跳んだときに頭が外を向くから、外側の入り口から入れる。


おまけ~
週末のセミナーは予備校の説明会があり参加不可能だったが、
午前中1時間ほどビギナークラスの見学に行った。
「これこそ、今の母に必要な練習」
同じコースを「リア」「先行」「エアプレーン」の3種類の走り方で走る。
いつものコース練習では同じコースを違うやり方で走っても2種類までだし
コースとして走っていると、そのコースでの走り方としてわかっても
基礎として身についているかはあやふやなところがしっかり身につきそう。
見学しているだけでも、違いがよくわかった。
これが自分で走ると、以外にも動けないんだろうな~
参加したかったなぁ~。

2015年3月3日火曜日

ライフワーク

居間のテーブルの彫塑はボクのライフワークです。



お母さんがボクのためにココにこのテーブルを置いてくれたゼロ歳児から4歳4か月の現在まで、
コツコツ・・
(母・・イオスが齧るのを想定して押入れからひっぱりだしてきました)


まだまだ完成には程遠いです。


こっちはもう一つのライフワーク
ダイニングテーブルの椅子の脚。
完成時には、椅子は絶妙な角度になるはずです。


2015年3月1日日曜日

卒業式

今日は卒業式だった。
どしゃぶり・・・・・。
中学の卒業式もどしゃ降り。

保育園の卒園式は微笑ましい感じはしたけど、特に感激はしなかったなぁ。
「あ~送り迎えから解放されるのね」なんて思ったけど。

小学校の卒業式はちょっと立派な終業式な感覚だった。
公立の小学校だけど、4クラスそのままのメンバーで、隣に建つ中学校へ進学する。
なんせ、低い垣根があるぐらいで、参観日なんて親が靴を履かなくていいように
すのこで臨時渡り廊下が作られるぐらいなもんで、中学生になる緊張感は親子共々なし。
記念写真を友達と撮ったりしてたけど「じゃあ、また、明日~~」みたいな感じだった。

中学は進学先はバラバラにはなるけど、特に感慨もなかった。
とにかく、これで中学生活が終わるとホッとした。
Jr.に自分の発想や思いつきを即、行動に移さないよう注意し、
授業態度や生活態度に気を付けるように注意したり、
内申気にして、あれもこれもに気を遣いまくった3年間だった。

だけど
高校の卒業式はかなり巣立ち感があって、感慨ぶかかった。
伝統なのか、天下国家を論じるような答辞だったが、かえって初々しかった。
PTA会長さんの「正式な挨拶はここで終わりです」のあと「親として」の言葉はちょっとうるっときた。
担任の先生は袴姿でとっても綺麗で、もう、ずっと泣いていらして、
男子生徒はそんな先生に卒業証書もらうの、なんだか照れくさいみたいだった。
クラスで友達と、すごく楽しそうにアルバム見てるJr.を見てとてもうれしかった。
クラスで解散した後に、カップルで親に写真撮ってもらってる子もたくさんいて、
母、ちょっと期待したのに、男子「だけ」で撮ってたさ。
つまらんやつ!

すごくいい高校生活だったんじゃないかな。
とてもリラックスして、まんまの自分で過ごせていたと思う。

クラスメートたちは彼の本来の性格をよくわかってて、決して目立つタイプではないのに
文化祭のクラス映画製作やクラス劇で主役級の役を振ってもらっていた。
彼は自分からはいけないけど、結構ステージにたつのがスキ(笑)

部活でもあきらめないで戦い抜いた気持ちを先輩や先生に認めてもらい、
自分でも達成感を感じて終われた。

中学から一緒の子が「Jr.くんがあんなふうに楽しそうに友達と話すんだ~」とつぶやいてたよと
彼女のお母さんが教えてくれた。
彼が変わったんじゃなくて、自分のままでいれたんだと思う。


あの時、思い切ってほんとによかったね。

すてきな高校生活にしてくれた先生方、クラスメート、部活メンバー
彼に関わってもらったすべての方に感謝です。